甲府家庭裁判所都留支部 昭和35年(家イ)7号 審判 1960年7月21日
申立人 川辺ひさゑ(仮名)
相手方 川辺直(仮名)
主文
申立人と相手方は離婚する。
双方間の長女川辺みつ子の親権者を申立人と定める。
理由
一、一件記録によると次の事実が認められる。申立人と相手方は昭和二三年一月○○日婚姻し、その間に同年四月○○日長女みつ子をもうけたが、婚姻当時相手方は富士吉田市下吉田○丁目○○○番地で機業をしており、双方間の婚姻関係も比較的順調であつたところ、同二三年暮相手方は機業に失敗し、申立人及び長女を放置して一人大阪方面に出掛け翌二四年二月に帰宅したが定職もなく徒らに日時を過して居りその間の生活費は申立人が他より借用してこれにあて、その後昭和二六年三月頃より申立人は飲食店を始め生活費を得るようになつた。その間に相手方は再び家を担保に原糸を借り織物事業に手を出したがこれも失敗し、ために昭和三四年一二月家屋は競売により売却されるに至つた。かかる状態に陥るも相手方は一向に労働の意慾にもえず自棄的気分から飲酒にふけり、心配して相談する申立人に対し、しばしば乱暴をするようになつたため申立人は相手方との婚姻生活に希望を失い、昭和三四年一〇月二〇日頃単身婚家を去り、実姉の嫁入り先に厄介になり、同月二七日頃長女みつ子を手許に呼び寄せ本年(三五年)三月迄其処で生活することになり、その後現在に至るまで申立人は富士吉田市○○○○丁目で焼鳥屋をして生活しており、相手方は○○織物工場に勤務しているが、申立人の生活費の仕送りも長女の養育費の仕送りもせず、収入は凡て自己の生活費等のためにのみ費消して居るもので、このような状態の下に双方の婚姻関係は完全に破綻するに至つた。
双方は上記別居の間、一切の関係も無く行来はしなかつたが、申立人が本件につき離婚調停を申立る直前相手方住所に行き「かかる婚姻関係の破綻は回復の術がないので協議で離婚しよう」と相談したところ、相手方は依然従前の生活態度を改め、申立人等を迎えて家庭生活を再建しようとの熱意も何ら示さなかつたため本件調停の申立に及んだ。
二、本件調停申立後相手方は昭和三五年三月二五日の第一回調停期日には出頭せず同年四月一日、四月二一日の期日に出頭したのみでその後五回の期日にはいづれも届出ることなく出頭しなかつたので不調に終つたことも又本件記録により明らかである。
三、敍上認定の事実からみると、相手方がその職を失い事業に失敗し飲酒にふけり現在のような状態に立至つたことについて相手方としてはそれ相当の理由あることと考えているかも知れないが、相手方の能力からすれば相手方さえその気になれば少くともある程度は立直ることも可能であつたに拘らず申立人及び長女と別居すること一一年有余に及んだのにその間相手方において家庭生活を再建しようとの熱意も行動も何ら示さなかつたのは申立人の夫として又子の父としての誠意を欠く生活態度に基因するものと言つてよく、従つてかかる婚姻関係が破綻するに至つた責任は相手方側にあるものとはいはなければならないし、又将来を展望しても双方の現在の心境態度及び生活状況からみて婚姻関係の円満な継続は到底期待できない事情にあるものと認めざるを得ない。
四、ところで当裁判所調停委員会においては、婚姻関係が人間的な関係であること及び双方間に長女があること等を考慮して、双方の自由意思に基く協議によつて本件婚姻関係を平穏に解決することを期待し相手方の任意の出頭を求めるため極力配慮し又その納得を得るよう種々尽力を続けたが、相手方の理由なき不出頭と誠意を欠く態度のため終に調停不調のやむなきに至つたものである。
五、しかしながら当裁判所は敍上の事実及び本件調停の経過からみて本件婚姻関係の継続は最早たんに形式だけのものであつて当事者双方の現在及び将来に好ましい結果を来たすものとは到底予見されないし、双方ともに本件婚姻を誠実に継続する意思なく、子の親権者指定の点については長女みつ子は現に申立人の監護を受けて順調に成長しているものであるから、この子の現在及び将来を考え、その他本件に現われた一切の事情を斟酌し、調停委員の意見をきき当事者双方のため衡平に考慮した結果、申立人と相手方とを離婚させ子の親権者を申立人と定めそれぞれ新たな人生に向わしめるよう措置するを相当と認め、家事審判法第二四条に則り主文のとおり審判する。
(家事審判官 三好徳郎)